築城年代は定かではない。城主は上甲伊豆守貞好で鎌田ヶ城主宇都宮氏の家老であったが、天正9年(1581年)鎌田ヶ城主宇都宮直綱が西園寺氏に謀反を起こしたため土居清良とともにこれを攻め、直綱は自刃、西園寺氏から鎌田ヶ城も任された。
上城は標高375.4mの三角点のある山に築かれている。
主郭は東端最高所で東背後の尾根を堀切で遮断している。『愛媛県中世城館跡』の図面では二条の堀切が描かれているが、現状一条しか確認できない。東側に少し離れたところに林道が通っているのでこの場所に堀切があったのかもしれない。
主郭の西下にある曲輪は猛烈なヤブで内部はまったくわからない。西尾根側に降って行くと広い段々の曲輪が連なっており、城域は結構広い。西の尾根先側に堀は確認できない。
南の県道から林道が分岐して主郭背後の尾根を通っている。この部分に上城入口の標柱がある。ここから入るとすぐに主郭背後の堀切になる。車は入口に駐められる。
案内板は南西麓の小川の脇にたっている。
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