築城年代は定かではない。
正平20年(1365年)河野通堯は、大祝与三郎らが立て籠もる岩子山城を攻めたが、細川頼之の援軍によって撃退され、伊予を失って九州へ落ちていった。
正平23年(1368年)通堯は通直と名を改めて伊予に上陸し、花見山城を落として陣を構え岩子山城(大空城)を攻めた。岩子山城には細川氏の武将宍草出羽守父子率いる三百余騎が立て籠もっていたが落城し、宍草出羽守は自刃したという。
岩子山城は松山総合運動公園の西にある岩子山山頂に築かれている。 現在は岩子山緑地となって山頂には岩子大権現が祀られている。
岩子山城は東西に長い山頂部を削平して曲輪とした小城で、現状では堀切なども見あたらない。
松山市考古館の所から登るのがわかりやすいだろう。 松山市総合運動公園の第4駐車場から考古館を経て文化財情報館の方へ進むと、そこに遊歩道の階段がある。それを登って西へ降ると鞍部に到達、そこから天地御光教会を経て畑の間の山道を進むと山頂に至る。
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