詳細不明。はじめ勝山氏の城であったが、のちに河原渕城主の一族芝一角が居城としたという。
勝山城は広見川と日向谷川が合流する地点の南側にある北へ伸びた細長い山に築かれている。
勝山城は北端最高所を主郭として北へ伸びた尾根に段々と曲輪を連ね、南側は大きな堀切で遮断している。明治の頃に公園化されたようで、現在はあまり整備されておらず、曲輪は草木に埋もれ遺構を確認するのは難しい。ただ遊歩道は整備されており、歩くことには支障はない。
南東側から林道があり、主郭のすぐ南下まで林道が続いている。林道としては走りやすそうだが、災害によって土砂が崩れており、訪れたときには通行はむずかしそうだった。
近くに城主の芝一角の墓があるようだが見つけられなかった。