いわみ・ぬくゆじょう

石見・温湯城
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温湯城の写真 写真館(118枚)
  形態  
山城(219m/180m)
  歴史  

築城年代は定かではないが小笠原氏によって築かれたと云われる。 石見小笠原氏は清和源氏で阿波小笠原長房の子、小笠原長親が石見国邑智郡村之郷を賜ったことに始まる。長親は七尾城主益田兼時の娘を迎え川本周辺の地を譲られている。

小笠原氏が当初居城としたのは赤城とされ、その後に温湯城が築かれて本城とし、赤城は出城となった。一説に赤城は三代代小笠原長胤、温湯城は四代小笠原長氏の頃と云われている。

建武2年(1335年)足利尊氏が反旗を翻すと、小笠原氏は七尾城主益田兼見とともに北朝方として戦った。

永禄元年(1558年)吉川元春によって攻められると、小笠原長雄は温湯城に籠城し尼子の援軍を待ったが、尼子の援軍が江の川を渡れず引き上げたこともあり、翌永禄2年(1559年)に開城・降伏した。 毛利氏は小笠原氏の所領を江の川の北側へと替え、温湯城のある辺りは吉川領となり替え地として伊田・羽住(波積)を与えた。

小笠原長雄は温湯城を追われると弥山城を居城としたが、天正10年(1582年)に丸山城を築き居城とした。 小笠原氏の菩提寺は湯谷にある長江寺(写真は丸山城を参照)であるが、これは元々川本町内にあったもので、江の川以北に移ったときに菩提寺も移されたという。「漠頭玉枕」という秘宝があり、これは小笠原長隆が室町将軍足利氏から拝領したものと伝えられている。

  説明  

温湯城は江の川の支流である会下川と矢谷川に挟まれた標高219mの山頂に築かれている。

温湯城は山頂に東西二段の主郭がある。段差は小さく土塁は付いていないが切岸は高くはっきりしている。東下にあるのが二ノ丸と云われ、東西に長い曲輪で先端は櫓台になる。さらに東下にはV字の堀切と竪堀、さらに三条の堀切が続く。

主郭の北西下には腰曲輪があり、さらに下に「バセンバ」と呼ばれる逆L字状の曲輪を配す。そこから北西に降ると「テラヤシキ(寺屋敷)」があり、北斜面に浅い連続竪堀がある。北西尾根を降ると連続堀切を経て「クラヤシキ(蔵屋敷)」と呼ばれる曲輪に至る。

  城主  
小笠原氏
  案内  

川本町の中心から県道31号線を進んで行くと目の前にあらわれるのが城山。城跡の東背後の尾根に鉄塔があり、整備用の道を使うと簡単に山に入ることができるが、整備用の道は山の山腹を通ってそのまま背後の尾根に上がるので主郭へは斜面をよじ登る必要がある。

県道31号線が会下川を渡ると直ぐに左へ曲がり、会下川沿いの林道を進む。しばらく行くと一軒の民家があり、道の両脇に空き地がある。ここに車をとめ、その少し先に鉄塔へ上がる道がある。登り始めて直ぐに等高線にそって北へ回る込む道があり、それを進むとクラヤシキに至る。

 所在地 
島根県邑智郡川本町大字川本
付近の城址
1.0km 石見・会下山城
1.5km 石見・赤城
2.4km 石見・飯の山城
5.6km 石見・地頭所城
8.6km 石見・京覧原城
8.8km 石見・雲井城
8.8km 石見・丸山城
8.9km 石見・平城
9.0km 石見・源太ヶ城
9.9km 石見・青杉城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2011年11月

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