天保12年(1841年)五島氏三十代、福江藩十代藩主五島盛成によって築かれた。
嘯月園は茶亭として築かれたものであるが、江戸時代初期に江川城を焼失して長らく石田陣屋を居城としていた福江藩にとって、文化3年(1806年)に石田城の築城願いを幕府に提出したものの許可が下りず、石田陣屋の詰城的要素を兼ねて造られたとも云われている。
嘯月園は標高72mの御茶園山の南山麓に築かれている。
山側の北を除く三方に切石を積み上げた石垣があり、東西約40m、南北約30m程の規模になっている。中央北側にも石垣があり、その脇に井戸が残る。南端に小さな石段が付いた虎口があり、通路は南東端から狭い通路を西へ進んで石段に至るようになっている。
御茶園山の山頂にも石積された二段の小さな空間があり、神社が祀られている。
2019年9月に再訪してみたが、周囲の木々は伐採され太陽光パネルが張り巡らされていた。石塁のある場所は史跡であるため当然残されているが、木々が伐採されたために日当たり良好となり、夏草が生い茂って遺構はほぼ確認できない状態であった。
五島中央病院南口交差点を東へ進んでいくとカーブの所に北側の山に入って行く細い林道が付いている(地図)。ここから奥へ進み、右へ伸びた道を進めば嘯月園に至る。
山頂へはここから東へと回り込むと尾根伝いに続く参道に出る。参道の入口は北の国道側にある。(地図)