築城年代は定かではない。城主は田川氏で、豊前国田川の荘司田河隆輔の子孫がこの地に来住したのが始まりと伝えられる。
田川氏は代々大村氏に仕え、文明12年(1480年)加々良島に逃れていた大村純伊が大村を奪還するのを援助している。
田川隆武のとき畝刈に転封となり、かわって大村左近が領主となった。
鳥越城は雪浦川と小田川の間に聳える標高60m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり南北に長い楕円形で一部に石塁が巡り、南に開口部がある。南や北にも平段がたくさんあり、とくに南は畑として開墾されていたのが明らかで、城域の境界線は難しい。
主郭部を含め畑跡の石積や石塁が多数ある。主郭の北側は横堀状に石塁があり、東や北東側には竪石塁も確認できるが、これらが城の遺構かどうかははっきりしない。
南下の道路に案内板があり、その脇から登山道がある。