ひぜん・かつおじょう

肥前・勝尾城
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勝尾城の写真 写真館(100枚)
史跡指定
国指定史跡
  形態  
山城(498m/350m)
  歴史  
応永30年(1423年)九州探題渋川義俊によって築かれたと云われる。 渋川氏は大宰少弐武藤氏と争いに敗れ、その大宰少弐武藤氏も明応6年(1497年)筑前国の回復を目論んだが周防国大内氏に敗れた。 これによって大内氏に降った筑紫満門が勝尾城主となり、以後三代続いたが天正14年(1586年)島津氏によって攻められ落城。 その後、筑紫広門は豊臣秀吉の九州征伐に参戦した功により筑後国上妻郡に領地を得た。
  説明  

現在は勝尾城を含めた支城群(葛籠城、鷹取城、鬼ヶ城、鏡城、若山砦)や屋敷跡などの遺構群が「勝尾城筑紫氏遺跡」として国指定史跡に指定されている。

城は標高498mの城山に築かれ、南麓の筑紫神社(筑紫氏居館跡)から登山道がある。

主郭は山頂にあり西と南が張り出した三角形で南端は「伝物見岩」と呼ばれ展望が開ける。北側が一段高くなり低土塁が一部残り、神社でもあったのか方形の基檀が残っている。西へ続く尾根は自然地形だが、南西下にも削平地があり石積を伴う土塁がある。

現在の登山道が主郭に達する部分は石段となっているが当時のものかどうかはわからない。ここを主郭の北側に回ると石積が残っている。

主郭から東へ続く尾根を降りて行くと「伝二の丸」へと続くが、途中北側側面に二段になった石積があり、その手前は大堀切で南側へは竪堀となっている。

鉄塔を越えてさらに東へ進むと尾根が東と南へ別れるが、南側の尾根の東側面には累々と石積が残っており、その先が堀切となっている。

登山道を戻ってくると「伝大手曲輪」があり、ここは大石が無造作に転がって所どころ石積がある。大手曲輪の先にある谷を駆け登った所が「伝二の丸」と「主郭」の分かれ道で、そのまま側面を行くと「伝二の丸」の南へ伸びる尾根に到達する。

印象深い遺構は「伝二の丸」の南に伸びる尾根の側面に施された石積である。この後に行った立花城にも似た遺構が見受けらる。

  城主  
渋川氏,筑紫氏
  案内  
南麓の筑紫神社(筑紫氏居館跡)から登山道がある。
 所在地 
佐賀県鳥栖市牛原町
付近の城址
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2008年2月

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