築城年代は定かではないが松浦草野氏によって築かれたと云われる。 松浦草野氏は筑後国竹井城主であった草野永平が文治2年(1186年)松浦郡鏡神社大宮司職に補任されて以降、鏡神社領を支配し、草野経永の頃より土着したという。
天正元年(1573年)龍造寺隆信によって攻められ、翌天正2年には鬼ヶ城が落城し草野鎮永は筑前二重城へ逃れ、さらに追撃されたため実父である原田隆種の高祖城へ入り、隆種の仲介により和睦が成立し鬼ヶ城に帰還したという。
鬼ヶ城は標高377.6mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
北西と南東の二郭で低い土塁が付いている。北から西の先端に掛けて畝状竪堀群があるが、西尾根の堀切を貫通する形で竪堀があり、もともと堀切によって尾根を遮断していた縄張りから畝状竪堀を増築改修したようである。南東尾根は大堀切で遮断し、その先にも竪堀と堀切が連続している。
南山腹にある林道の途中から登山道が整備されている。林道は現在崩落によって途中から通行止めであるが、林道途中に駐車可能である。
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