詳細不明。城主ははじめ高橋判官で、のちに青山采女正の居城となったという。
青山采女正は岸岳城主波多三河守親の家臣で、その姉は波多親の正室であったが、波多氏が龍造寺氏に屈したとき、龍造寺氏から正室を迎えるために離縁され、青山城に隠棲したという。
青山城は松浦川西岸、山本駅の南に聳える標高119.8mの山に築かれている。
主郭は三角点のある山頂部で南端に櫓台があり櫓台から北へ土塁が伸びる。主郭の東から南東側にかけて畝状竪堀群とされる連続した竪堀状の地形があるが、竪堀の起点が曲輪の上部からきている点や削れ方などは畝状竪堀群とは異なるようで、これがどのような地形なのかはわからなかった。
主郭から北へ下ると南端に社を祀る曲輪があり、北端に竪堀が二条ある。
いっぽう主郭の南側は堀切を隔てて削平の甘い曲輪があり南端に二重堀切がある。
東麓の熊野神社入り口にある案内板には西へ伸びた尾根にも曲輪を描いているが、ここは林道が敷設されており遺構はわからない。
案内板は熊野神社の鳥居近くにあり、ここから道があるように描かれているが、こちらからは登っていない。
山の西側に林道があり、そこから分岐して主郭の西下辺りまで林道がついている。この道は北の山本側から行く方が道がマシで、城山へ向かう分岐の入口にチェーンがあり、その辺りに駐めて歩いて行くこととなる。
最寄り駅(直線距離)