ひたち・しもだてじょう

常陸・下館城
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史跡指定
市指定史跡
  形態  
平城
  歴史  

天慶3年(940年)藤原秀郷が築いたのが始まりとされる。 藤原秀郷は平将門がおこした承平天慶の乱を討伐するために、上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたという。

文明10年(1478年)頃に結城氏家臣水谷伊勢守勝氏が下館城を築き代々の居城となる。 豊臣秀吉による小田原征伐の後は主家結城氏から独立した大名として取り立てられ三万一千石の所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属して佐竹氏に対抗し、所領を安堵される。

和暦(西暦) 事象
寛永7年(1630年) 所領の高直しにより四万七千石となる。
寛永16年(1639年) 水谷勝隆の時、備中国成羽へ五万石で転封。
水戸藩主徳川頼房の長男松平頼重が五万石で入封。
寛永19年(1642年) 松平頼重は讃岐国高松へ十二万石で転封。
一時天領となる。
寛文3年(1663年) 三河国西尾より増山正弥が二万石で入封。
元禄15年(1702年) 増山正弥は伊勢国長島へ転封。
丹波国亀山より井上正岑が五万石で入封。
城地が狭く不便であった為に僅か一ヶ月で笠間へ移る。
元禄16年(1703年) 武蔵国より黒田直邦が一万五千石で入封。
享保17年(1732年) 黒田直邦は上野国沼田へ転封。
伊勢国神戸より石川総茂が二万石で入封。
以後石川氏が続いて明治に至る。

  説明  

城は五行川西岸の平地に築かれており、下館小学校付近が二の丸、その北にある八幡神社付近が本丸であった。現在は市街地に没して遺構はほぼ失われたが、本丸跡にある八幡神社に案内板と石碑が建てられている。

  城主  
水谷氏,松平頼重,増山正弥,井上正岑,黒田直邦,石川氏
 所在地 
茨城県筑西市甲
付近の城址
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2009年4月
 縄張図 
現地案内板より
下館城縄張図

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