天慶3年(940年)藤原秀郷が築いたのが始まりとされる。 藤原秀郷は平将門がおこした承平天慶の乱を討伐するために、上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)を築いたという。
戦国時代になり下館城主水谷正村が宇都宮氏に対する備えとして久下田城を築いた。元亀元年(1570年)正村は家督を弟勝俊に譲り、隠居城としてこの久下田城へ移った。元和の一国一城令により廃城となった。
城は五行川西岸の河岸段丘に築かれている。主郭の東側は急峻な崖となっており、東側を除く三方に堀を巡らしている。現在主郭への入口は南西隅にあり、道路となっているがもともとは土橋であったのだろうか。
崖である東側を除く三方を主郭を取り囲むように曲輪が配されているが、西から南側は開墾されて農地となっている。北側の堀を渡った竹薮の中に土塁を伴う曲輪が残る。南側の農地の中にも断片的に土塁が残っているようである。
国道294号線から県道106号線に入り東へ進む。真岡鉄道の線路を越えた辺りで北の集落内の道路に入り、道なりに進むと北へ進む道がある。手前は住宅街で奥に農地が見えるが、この道を北へ進めば主郭跡の公園に至る。
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