慶長5年(1600年)加藤正次によって築かれたと云われる。 加藤正次は加藤清正の家臣で大津山城代であったが、慶長5年(1600年)鷹ノ原城を築いて居城とした。鷹ノ原城の築城にあたっては加藤清正が縄張りしたと伝えられる。 元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となった。
鷹ノ原城は南関町役場の北方にある標高104m、比高40m程の丘陵に築かれている。 地形を見ると東西400m程に渡ってほぼ同じ高さの地形が続いている。
本丸はこの丘陵の東端部で、現在は西南戦争の「城ノ原官軍墓地」(県指定史跡)となり、西側は畑地である。この城は廃城にさいして徹底的な破却されたようで、遺構はほとんど残っていないものと期待せずに訪れたのだが、ちょうど発掘調査がはじまっていたようで、掘り返している土の中には立派な石垣の基底部が見えている。
この城がどのような縄張りであったのか定かではないが、現在見えている石垣を観察すると、佐敷城に匹敵するような城であったことは確実で、今後の調査経過と保存展示の仕方には注目していきたい城である。
また、南麓には細川氏時代の南関御茶屋跡があり、豊前街道が通っていた。
南関町役場の北側にある御茶屋跡から遊歩道が山頂に続いている。
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