築城年代は定かではないが永正年間(1504〜1521年)に高山外記によって築かれた天神山城が前身である。高山氏は飛騨国守護京極氏の家臣で守護代をつとめた多賀出雲守の一族という。
永禄元年(1558年)桜洞城主三木自綱と高堂城主広瀬宗城によって高山氏は滅ぼされると、自綱は叔父の三木久綱を天神山城主とし、天正7年(1575年)松倉城を築いて居城とした。
天正13年(1585年)三木自綱は越中の佐々成政と結んで羽柴秀吉と対立すると、羽柴秀吉の命によって越前国大野城主金森長近が飛騨国へ侵攻し、自綱は高堂城と広瀬城が落城すると降伏、最後に残った三木秀綱の籠る松倉城も落城して三木氏は没落した。
飛騨へ入部した金森長近ははじめ鍋山城を居城としていたが、天正16年(1588年)天神山城を改修して高山城と改称し居城とした。
元禄5年(1692年)金森氏六代金森頼時は出羽国上山へ転封となり、以後飛騨国は江戸幕府直轄領となって高山陣屋によって治められ、高山城は廃城となった。
高山城は高山市街地の南東に聳える標高686mの城山山頂に築かれており、現在は城山公園として整備されている。
高山城は山頂の本丸、北山腹に二ノ丸、北麓の護国神社の所が三ノ丸であった。大手は北の三ノ丸側ではなく、南側を大手とし、三ノ丸側は搦め手となっている。
本丸にある使者之間の石垣は復元されたものであるが、本丸周辺には所々石垣が残っている。二ノ丸は公園となっており金森長近像がある。護国神社北側にl字に残っているのが唯一の水堀である。
鐘楼門(移築 城門)
三の丸評定所(移築 その他)
二の丸建物(移築 その他)
月見殿(移築 その他)
米蔵(移築 倉庫)
二ノ丸公園の所に無料の駐車場があり、そこから本丸まで遊歩道が付いている。
最寄り駅(直線距離)