築城年代は定かではない。天文年間(1532年〜1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとも云われるが、それ以前の寛正3年(1462年)頃とも考えられている。
広瀬氏累代の居城であったが、天正11年(1583年)広瀬山城守宗城のとき、三木自綱によって攻められ落城、宗城は討死した。その後、三木自綱は家督を二男秀綱に譲り、隠居して高堂城と広瀬城を居城とした。
天正13年(1585年)広瀬宗城の子で広瀬兵庫頭宗直は飛騨を脱して越前国大野城主の金森長近の元に身を寄せていたが、羽柴秀吉の命により金森長近が飛騨へ侵攻するとその先導役として活躍し、高堂城・広瀬城に籠もった三木自綱を降伏させている。
高堂城は瓜巣川の北岸にある標高778mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり、西、北、東の三方向に伸びる尾根に曲輪を配している。 主郭部付近は土塁や堀切などはないが、高い切岸によって守るようになっている。東尾根を降った所には馬止場があり、この辺りにも曲輪群が残っている。 主郭の西側から南へ伸びた尾根の南端には唯一堀切が残されており、この尾根を降った辺りに広瀬氏の居館がある。
県道482号線沿いにある瓜巣公民館の隣に登山口があり案内板が設置されている(地図)。ここからの登山道は寺洞砦群との間の尾根に登り、そこから西へ進んで馬止場に出る道で距離が長い。広瀬城から寺洞砦群を経て高堂城に登ることも可能である。
最寄り駅(直線距離)