築城年代は定かではない。 建仁元年(1201年)に城小太郎資盛が反乱を起こして鎌倉幕府の佐々木盛綱と戦った鳥坂城に比定する考えもあるようであるが、これは現在の胎内市にある鳥坂城と推測されている。
歴史については詳らかではないが、現在残る遺構は戦国時代のものであり、信濃国境から上杉氏の本城である春日山城に通じる飯山街道を押さえる要害として、上杉氏が維持していたと推測される。上杉氏の家臣桃井左京が在城していたとの伝承が残る。
鳥坂城は関川と片貝川との間に聳える高床山から北東へ延びた尾根の頂部、標高347.5mの鳥坂山山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり北東下に二の丸、東下に三の丸がある。二の丸は東と西にそれぞれ虎口があり、東虎口は三の丸へと続いている。西虎口は北下の腰曲輪へと通じており、西側面には井戸や畝状竪堀群が残る。
主郭から北へ伸びた尾根には北東下に屋敷、北尾根にも曲輪群がある。この辺りも西側面や東側面に畝状竪堀群が残る。
主郭の背後は二条の大堀切の間に細かく連続竪堀を設けて遮断している。側面にも畝状竪堀群がある。
主郭から南へ続く尾根に南曲輪がある。この曲輪は南から東に掛けて横堀になり、東の虎口は土橋へと通じているが、この土橋に見事に横矢が掛かっている。
城山の北麓にある姫川原小学校の所で国道292号線から県道584号線へと入る。県道に入って1km程進むと「高床山森林公園」と「鳥坂城址」と記された道標があり、山上にある公園まで車で登ることができる。ただし公園の駐車場からでも800m程歩くことになる。
公園の駐車場からキャンプ場を抜けると広い空き地があり、その奥から東へと山道が続いている。
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