えちご・ねちじょう(ねごやじょう)

越後・根知城(根小屋城)
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根知城(根小屋城)の写真 写真館(98枚)
史跡指定
県指定史跡
  形態  
山城(370m/270m)
  歴史  

築城年代は定かではない。 根知城は根小屋城(本城)、上城山城(詰城)栗山城(館城)を総称した呼び名であるが、居館に付いては北側の根小屋集落にもあったとみられている。

上杉謙信の時代、永禄11年(1568年)と12年、元亀3年(1572年)に同所の警備を厳重にせよとの書状が出ており、この頃には整備されていたものと推測され、越後から仁科口を経由して信濃に通じる道を警備する役目を果たした。

信濃国葛尾城主であった村上義清が武田信玄に追われ、上杉謙信を頼って越後に赴いた後、永禄8年(1565年)に根知城主となった。この村上義清が栗山城のある「ウツグラ」の地名の由来となった「ウツグラ様」だと伝えられる。

謙信の後、上杉家の家督を継いだ上杉景勝は武田信玄の子、武田勝頼の妹を娶り同盟関係となった。このことから勝頼の弟で信濃国森城主の仁科盛信と安曇野衆が根知城の勤番を命ぜられ、天正10年(1582年)信濃国長沼に撤退するまで続いた。その後は上杉家臣西方房家、桜井三助晴吉が在城したが、慶長3年(1598年)上杉景勝は会津へ転封となり、根知城を去った。

上杉景勝の後は越前国北之庄より堀秀治が春日山城主として越後に入封、根知城には一族の堀備中守清重が配された。その後、上杉氏の旧家臣が蜂起した一揆により城は破却、清崎城が築かれた。

  説明  

根小屋城(根知城)は、姫川と根知川が合流する地点の南東に聳える、標高525.2mの城山から北西に伸びた尾根の標高370m付近を主郭として築かれている。

主郭は標高370m付近にあり、上城山城へ続く南背後の尾根を二重の大堀切によって遮断し、北側に小段を設けている。ここから北へ伸びた尾根伝いに小郭や堀切を設け、「殿屋敷」と呼ばれる二郭に至る。この殿屋敷の北側に唯一石積が残っている。ここから北へ降ると「練兵場」と呼ばれる城内で一番広い三郭に至る。ここから北へ続く尾根には土橋の架かる大堀切が残っている。

  案内  

国道146号線根小屋谷入口交差点を東へ曲がり県道225号線に入る。県道は直ぐに新道になるが、線路を渡って直ぐを南に曲がり集落内の旧県道に入る。しばらく行くと根小屋会館の近くに駐車場があり、そこに車を駐めて南の山に向かうと根小屋口の登山口がある。

 所在地 
新潟県糸魚川市大字根小屋字西小屋
付近の城址
0.8km 越後・根知城(上城山城)
0.9km 越後・根知城(栗山城)
5.0km 越後・今井城
8.9km 越後・清崎城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2011年5月

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