築城年代は定かではない。
根知城は根小屋城(本城)、上城山城(詰城)、栗山城(館城)を総称した呼び名であるが、居館に付いては北側の根小屋集落にもあったとみられている。
上杉謙信の時代、永禄11年(1568年)と12年、元亀3年(1572年)に同所の警備を厳重にせよとの書状が出ており、この頃には整備されていたものと推測され、越後から仁科口を経由して信濃に通じる道を警備する役目を果たした。
信濃国葛尾城主であった村上義清が武田信玄に追われ、上杉謙信を頼って越後に赴いた後、永禄8年(1565年)に根知城主となった。この村上義清が栗山城のある「ウツグラ」の地名の由来となった「ウツグラ様」だと伝えられる。
謙信の後、上杉家の家督を継いだ上杉景勝は武田信玄の子、武田勝頼の妹を娶り同盟関係となった。このことから勝頼の弟で信濃国森城主の仁科盛信と安曇野衆が根知城の勤番を命ぜられ、天正10年(1582年)信濃国長沼に撤退するまで続いた。その後は上杉家臣西方房家、桜井三助晴吉が在城したが、慶長3年(1598年)上杉景勝は会津へ転封となり、根知城を去った。
上杉景勝の後は越前国北之庄より堀秀治が春日山城主として越後に入封、根知城には一族の堀備中守清重が配された。その後、上杉氏の旧家臣が蜂起した一揆により城は破却、清崎城が築かれた。