築城年代は定かではないが金津資義によって築かれたと云われる。 金津氏は信濃国佐久郡平賀郷を本貫とする平賀盛義(源盛義)の子平賀有義の長子が蒲原郡金津保地頭職となり金津小次郎資義と称したことに始まる。
金津資義のあとは二男資直が継いで金津蔵人左衛門尉資直と称し、三男信資は新津城主となって新津越前守三郎信資と称した。
金津氏のその後の動向は不詳であるが、上杉謙信の時代に金津新兵衛尉義舊が居た。
金津城は菩提寺山から北へ派生した尾根、白玉の滝の南背後に聳える標高190m程の山に築かれている。
山頂の主郭部は概ね平であるが自然地形の部分が多い。低い段差があって周囲に帯曲輪状の地形が拡がっているが、これもまた曖昧である。南へ伸びた尾根には堀切がなく自然の鞍部のみで、唯一の堀切は西端から北へ伸びた尾根で浅く掘りきってある。東へ伸びた尾根から少し降りた辺りにも平段があり、その先は急斜面になっている。全体的に加工は少ない。
金津城の石碑と案内板は「さくら広場」(地図)という所に設置されている。これは白玉の滝に設置されている周辺地図の「桜林」の位置にあり、駐車場から少し戻った所から山に入るか、堀出神社の境内から白玉の滝へ向かっていくとたどり着く。
道は付いていないが白玉の滝の上にあるお堂の脇から急峻な尾根を登っていくと山頂付近に虎ロープが設置されている。下山は西の堀切からそのまま北へと降りてきたが、これも似たような所に出てくる。
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