築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に江馬輝盛によって築かれたと云われる。江馬氏は飛騨に勢力を持った国人領主で、上杉謙信と結んで越中に勢力を持ち、家臣の河上中務を在城させていたという。
天正6年(1578年)上杉謙信が病没すると江馬氏もまた越中の勢力を失い中地山城も役目を終えたと考えられている。
中地山城は常願寺川南岸の台地の上に築かれている。
中地山城は近年まで畑として開墾されていたため、遺構の残存具合は決して良好ではなく、夏場ということもあって草も多く生い茂っていた。
主郭とされる最高所には目立った曲輪としての形状はなく、塚状の地形などがあるのみである。北や南には小さな平段や竪堀状の地形があり、城郭遺構の雰囲気はあるものの、用途の復元は難しい。しかしながら、この部分を囲むような「内堀」と呼ばれる横堀遺構は明瞭に残り、南には土橋として繋がっている部分が残る。その外側にも「外堀」と呼ばれるやや広い窪地があるが、これらは自然地形のようでもあり遺構かどうかは不明である。
かつて城内にあった「殿様馬乗石」は中地山神社に移されている。
県道から中地山集落に入ると公民館がありそこに案内板が設置されている。公民館に駐車可能で、そこから道標に従って登って行けば城域に達する。
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