延喜年間(901年〜923年)頃に井口三郎光義によって築かれたと云われるが定かではない。
井口氏は南北朝時代には南朝方の桃井直常に属し、応安2年(1369年)北朝方の能登吉見氏によって攻められ落城した。
文明年間(1469年〜1487年)頃には今村氏の居城で、城主今村小太郎の頃に再び落城したという。
戦国時代末期には一向一揆の拠点となっていたが、天正9年(1581年)佐々成政によって攻め落とされたと見られている。
井口城は現在圃場整備などにより遺構は残っておらず、主郭の一角が墓地として残されているのみで、ここに石碑と案内板が建てられている。
北の県道21号線沿いにある明専寺の隣には「池尻中世石塔群」(南砺市指定文化財)があり、南北朝時代を中心とした五輪塔など井口城と関連するものと見られている。