築城年代は定かではないが、元徳年間(1329年〜1331年)頃に志賀重利によって築かれた と云われる。
天正14(1586年)南山城は志賀義親が守っていたが、島津軍の新納武蔵守らの軍勢によって攻められ落城した。
南山城は稲葉川の北の標高610m程の山に築かれている。
道路を挟んで北と南に遺構が残るようであるが、北側は鶏舎などとなって遺構の見学は難しそうなので、南の遺構のみ見学している。
東西に切り通した道路自体が堀切の役目を果たしていたのかもしれないが、この道路の南側の山に遺構がある。道路を上った所は広く平坦で、南側にやや小高い山を残している。この山から南西に伸びた尾根にも曲輪があり、堀切の先に土塁の付いた曲輪、さらに広く削平された曲輪が先端にある。ただ、この辺りは藪に埋もれている。
道路沿いに案内板が設置されており、ここからあがった所が城跡。
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