築城年代は定かではない。城主は穝所氏(さいしょ)で、戦国時代には穝所久経、元常(職経)、秀経の名が知られる。
永禄年間(1558年~1570年)には毛利方の龍の口城を浦上宗景・宇喜多直家が何度も攻め、城主穝所元常を謀殺するも、毛利方の三村氏や中島氏らの支援によって落城しなかった。しかし永禄10年(1567年)三村氏は明禅寺合戦で宇喜多直家に大敗を喫し、龍の口城も宇喜多氏の手に落ちたという。
龍の口城は旭川に面した龍之口山の北峰、龍之口八幡宮の境内がある山に築かれており、現在参道が整備されている。
主郭は龍之口八幡宮の境内となっているところで、現在も利用している井戸が2か所ある。主郭の東下に東西に長い曲輪II、東端から南北に長い曲輪IIIと続く。曲輪IIIには土塁が開口した部分があり、外側にスロープが続いていることから虎口のようである。
主郭の西背後には南側は参道で改変されているが堀切1があり、北へ竪堀が落ちている。
曲輪IIIから東へ続く尾根に向かってくだった所に二重堀切2があり、それに連動して南側に畝状竪堀群3がある。堀切から谷筋に伸びる竪堀に対して畝状竪堀群が伸びているが、北側の三条は土塁部分が下方の竪堀に対して湾曲して並行するようにカーブしているのが特徴である。
曲輪IIから南東に伸びた尾根には堀切4と堀切5が確認できる。いずれも岩盤を削った堀切で、東側は参道によって改変されているが、西側は竪堀が伸びている。堀切5の下方は竪堀が付属し、西側にもいくつか竪溝が確認できるがこのあたりは自然地形と思われる。
曲輪群IVは東へ伸びた尾根の先端側に段曲輪を連ねるが切岸は甘く東端にも堀は確認できない。南の参道の両脇に帯曲輪状の段が連なっており、西端は竪土塁地形で止まっている。この下方に土塁が付いて中央がやや張り出した曲輪Vがあり、外側に浅い横堀6が確認できる。
登山口はいくつかあるが、西側には「龍ノ口グリーンシャワーの森」駐車場があるので、そちらから登るのがわかりやすい。駐車場にある登山口は龍の口山頂に通じる道なので、山頂を経由せずに龍之口八幡宮に向かう場合、車道を北側へ歩いた所にある谷筋の公園から登るのが良い。西尾根を登るコースは岩が露出した登山道で健脚向けである。
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