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写真館(33枚)
- 別名
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奴原城,奴原山城,敷名城
- 形態
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山城(360m/80m)
- 歴史
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詳細不明。城主は敷名氏と伝えられる。また、毛利元就の異母弟の相合元綱が城主とも伝えられる。
明応6年(1497年)毛利弘元は山名俊豊と弟到豊との争いで俊豊を助けて備後に兵を出し、この功によって敷名郷を与えられている。
毛利元就と後継者争いで大永4年(1524年)に誅された相合元綱の城ともいわれ、天文2年(1533年)毛利元就は敷名民部大輔の籠もる大笹山城を攻め落とし、元綱の子の元範に与えた。これにより元範は敷名元範と名乗った。
- 説明
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沼原城は美波羅川の北西側にある標高360m程の山に築かれている。
城山の頂部付近が一段高くなっており、ここを主郭とした小城で、東下に一段の小郭が付いている。主郭は1mから2m程に切岸で取り巻きしっかりとした城台を築いている。北尾根は二条の堀切、南尾根も一条の堀切で遮断しているが、総じて浅く弓形状の堀切になっている。西側の緩斜面には一条の竪堀、中央に通路があり、そこから下に畝状竪堀群がある。
- 城主
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敷名氏
- 案内
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国道375号線から蔵谷橋を渡り、城山の西側の谷から山の北側に回る車道がある。北側には工場や土砂処理場があるが、その辺りから山に取り付くとすぐに山頂に達する。 - 所在地
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広島県三次市三和町敷名
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- 最終訪問日
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2011年11月
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