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写真館(40枚)
- 別名
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畠敷本城,比海老城
- 形態
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山城(400m/200m)
- 歴史
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鎌倉時代に藤原兼範(三吉氏)によって築かれたと云う。
兼範の子兼定のとき三吉氏を名乗り三代兼家、四代信兼の頃には三次地方に勢力を伸ばした。
三吉氏は出雲国尼子氏、周防国大内氏の間に挟まれており、始め尼子氏側に付いており天文9年(1540年)尼子氏が安芸国祝屋城攻め、翌10年(1541年)安芸国吉田郡山城攻めの時にはいずれも尼子方として加わったが共に敗戦となる。
今度は大内方として天文11年(1542年)出雲国富田城攻めに出陣するも大内方が劣勢となり尼子方から大内方へと靡いていた豪族がぞくぞくと尼子方へと靡いた為敗戦となる。
天文13年(1544年)尼子氏は三吉氏を攻めたが毛利氏の援軍により撃退し以後毛利に属するようになった。
その後、比隈山城を築城し居城を移したため廃城となった。
- 説明
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城は本丸を最高所に置き南に派生する尾根伝いに曲輪を配している。本丸は竹林となっているものの周囲を取り巻く土塁が良く残っており一部石垣もある。
- 城主
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三吉氏
- 案内
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現在、比叡尾山城南麓の熊野神社に案内板があり「登城困難」とある。比叡尾山城の北側にある王子谷池付近まで林道が通っている為、林道を歩いて登りそこから谷を渡って王子谷池に出てから本丸目指して直登した。
周囲を散策すると廃れてはいるものの山道が残っており帰りは山道を降りたが熊野神社東の集会所あたりにでることができた。
途中道が道標もなく枝分かれしているのでここから登るのは土地勘がないと難しいかも。 - 所在地
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広島県三次市畠敷町
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- 最終訪問日
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2006年3月
- 縄張図
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現地案内板より
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