松山城を参照。
大松山城は臥牛山の山頂部に築かれた中世の山城で、天守が現存する松山城以前に築城された城である。ここでは松山城の背後にある相畑、天神丸、大松山城、大池、番所遺構について掲載する。
大松山城は臥牛山の大池から北西方向に伸びた尾根に曲輪を展開しており、南東の最高所を本丸として北西に二の丸、三の丸がある。曲輪の間はそれぞれ堀切によって遮断しているが、土塁はなく、一部の側面には石垣が確認できる。
標高487mの山頂部から南に伸びた尾根に展開するのが天神丸で、その下方に相畑がある。天神丸は天神社が祀られた曲輪で南西の堀切を挟んで「せいろうが檀」があり堀切に面して土塁が付く。
相畑は天神丸の南東下にあり谷間を挟んで広い曲輪があり、井戸や石積が残されている。
松山城の搦手にあたる北東の鞍部に面して番所遺構がある。番所は峠を見下ろす高台にあり石垣が残る。峠はいわゆる切通であるが、そのまま鞍部を抜けられないように石塁で閉ざし、石段を設けて一度尾根上に登られる構造になっている。
松山城の裏からそのまま大松山に向かう遊歩道がある。もしくは松山城の雲海撮影スポットとなっている東側にの尾根の終点に駐車場があり、そこから鉄橋を渡って松山城に至る遊歩道を使うことができる。
最寄り駅(直線距離)