築城年代は定かではない。佐井田城主植木秀長の子道久が在城していたが、元亀元年(1570年)に尼子・宇喜多の連合軍によって敗れ、その後は宇喜多信濃守が在城したという。
山王城は標高587.2mの山王山から東へ伸びた尾根の先端、標高503mに築かれている。
主郭は南端最高所で、ここから北西、北東側に段々と曲輪を連ねている。全体的に切岸は甘く高低差も低い。
曲輪IIIの西端には高土塁があり、その外側に削平が甘い曲輪VIIをおいて大堀切で遮断している。一方東尾根の曲輪VIの東端にも土塁があるが、こちらは堀切などはない。この曲輪VIの南側はそのまま武者走り状の通路として主郭下まで続いている。
堀切は尾根背後にある大堀切1のみで、尾根先側には堀は見あたらない。堀切1から南へ伸びる竪堀に連動して六条の畝状竪堀群2が設けられている。この下方には沢が流れており水場となる。
北側の武者走りにも数か所切り込みAが確認できるが、遮断するものは西端の1ヶ所しかなく、下方は急斜面になっているため自然地形と思われる。
南東麓にある興法寺跡から登ることになる。中腹までは尾根道が明瞭に残るが上の方では不明瞭になり、主郭の南東下の腰曲輪に入ることになる。
沢沿いに登ってみたが途中からガレ場になりやめたほうが良い。
車は興法寺跡に駐めて良いと言われたが、普通車だとかなり狭い。
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