築城年代は定かではないが鎌倉時代初期に菅和泉守道忠によって築かれたと云われる。
菅氏は淡路国三原郡野口村を拠点としていたといわれ、その後、菅氏あるいは野口氏を称している。
南北朝時代以降、菅実正は足利尊氏に従い、細川師氏が淡路守護となって淡路に入部すると菅氏もそれに従った。
天正9年(1581年)菅長宗のとき、織田信長の命により淡路に侵攻した羽柴秀吉らの軍勢により、志知城は降伏・開城した。秀吉は家臣の黒田官兵衛を志知城に置いて守らせた。
天正13年(1585年)加藤嘉明が一万五千石を領して志知城に入り、志知城が改修されと考えられている。文禄4年(1595年)加藤嘉明は六万石に加増され、伊予国松前に転封となり、その後は秀吉の直轄領となって代官が置かれたが、後に叶堂城に移され廃城となった。