あわじ・かのどじょう

淡路・叶堂城
城郭放浪記

城郭一覧
関連外部リンク
天気予報
叶堂城の写真 写真館(11枚)
  別名  
感応堂城
  形態  
平城
  歴史  

慶長5年(1600年)石川紀伊守によって築かれた。 文禄4年(1595年)志知城主加藤嘉明が伊予国松前に転封になった後は豊臣秀吉の直轄領となり、代官として石川紀伊守・三宅丹波守が派遣された。その後、慶長5年(1600年)までに志知城は廃城となり、新たに叶堂城が築かれ拠点となった。

石川紀伊守は関ヶ原合戦で西軍に属して敗れ、淡路国は阿波国徳島藩主蜂須賀氏の所領となり叶堂城は廃城となった。

  説明  

叶堂城は三原川の河口付近に築かれた平城で現在は感応寺の境内となっている。 感応寺は元々この地にあったが、叶堂城築城に際して一時松原中に移り、江戸時代に入って蜂須賀家の所領となった際に再び叶堂城跡に移転したという。このとき、叶堂城の石垣の一部を残して改修されたため、現在は南面の隅部と西面のみという。

  城主  
石川紀伊守
 所在地 
兵庫県南あわじ市松帆古津路(感応寺)
付近の城址
0.8km 淡路・湊城
3.0km 淡路・志知城
5.9km 淡路・養宜館
9.8km 淡路・勝間城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2010年12月

Sponsord by Amazon.


Copyright(C) 2003-2012,By PEI. All rights reserved.
写真などの無断転載を禁止します