承久3年(1221年)武田信宗によって築かれたと云われる。 安芸武田氏は甲斐武田氏が承久の乱による恩賞として安芸守護に任命されたことにより始まる。
戦国時代に入り武田氏は安芸南部の国人である高松山城熊谷氏、八木城主香川氏、平原城主己斐氏などを家臣化するが安芸一国を率いることはできず大内氏に従っていた。しかし、大内氏が上洛しているすきに勢力を拡大しようと画策し、武田氏は安芸北部に進出する。二度目の有田城合戦では武田元繁が逆に大内の命で出陣した毛利元就に討たれ戦死する。
その子光和は尼子氏と結んで大内氏に対抗するが天文10年(1541年)大内氏の命を受けた毛利元就に攻められ落城し滅亡した。
銀山城は武田山山頂に築かれている。
憩の森公園からの登山口を登ると「馬返し」、「御門跡」、「千畳敷」、「館跡」にたどり着く。
「館跡」から北東に続く尾根には「犬道」と言う堀切を隔てて「武者隠し」や「見張り台」そして「出丸」がある。
逆に南東方向に続く尾根には「観音堂」「弓場跡」などがある。
登山道は各方面から整備されているが、憩の森公園には駐車場がある。
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